絵を描く人なら,自分の頭の中にある完成図と,現実のキャンバスとの差違。テキストを生む人なら,感情に近い言語と,現実のタイプされた文字との差違。その差違はインターフェイスの未熟さによる。なら,そんなインターフェイスのない世界は?
シーボルド会議で「出版:20年の展望」と題する基調講演が行われた。IFTF社技術研究員ポール・サッフォの発言から。「次のインターフェイスの革新はどんなものか? 最大の変化は,「インターフェイス」という言葉がなくなることだ」。「私たちがOSになってしまえば,それは素晴らしいことでは?」と観客にたずね,この質問は爆笑を呼んだ。
PCが持っているインターフェイスをあげてみよう。ユーザーからの入力装置としてのキーボードやマウス。出力装置としてのモニタ,スピーカー。モニタの中のテキストや,ボタンやメニューなどのGUIもソフトウェア・インターフェイスだ。その他,パラレルやシリアル,ネットワークなど,他の装置と接続するポートもある。人間の持っているインターフェイスをあげてみよう。他の人と接する場合,言葉(口)もそうだし,表情もそうだ。身振り手振りで体全体がインターフェイスになることもあるし,セクシャルな部品も,そのひとつと云える。インターフェイスを経ることで,そのデバイスの限界が見えてくる。たとえば,ある感情を相手に伝えたいと思ったとき,「言葉」というインターフェイスでは,そのすべてを伝えられない。この感情をそのまま伝えられたら,と思っても,感情を乗せられるインターフェイスはない。何かに置換する必要がある。
僕の感情と君の感情を直結して会話することができるなら,世界はわかりやすくて,スムーズになる。だが人間は,感情を隠すことで社会を成り立てている側面がある。ということで,これは崩壊する。だが,PCはどうか。頭の中で考えた思考は,脳から指先に伝達され,キーボードを経て,モニタのGUIに現れる。それは,何百マイルも遠い道のりだ。思考は,通過するデバイスの限界で,あられもなく削り取られていく。なら,思考をその場で,処理し,構築し,表出したらどうだろう…。究極のPC,インターフェイスのないPC,その時,人間の想像力は,作意力は,感情は,どの方向へと向かうのか。(ニュースネタ元:model f plusさんm(_ _)m)
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